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「世界の果て」

作:椎堂かおる

 
 この世が終わると聞いて、世界の壊れるところを見に行ってみた。  そこは北の果て、氷の浮かぶ海の中にある、そそりたった真っ黒な壁で、小さな島も、その海域を漁場としていた鯨も、海水ごとその終末に呑まれて消えようとしていた。  一番近い港町からは、それを見る遊覧船が出ている。私もそれに乗って来たのだった。  近隣の者たちに聞くと、終末はゆっくりとしか近づいてこない。十分な距離さえとっていれば、危ないということはないのだそうだ。  うっかりそれに挑んだ者だけが、この世の終わりに飲まれて消えてしまう。  私はただ、この世に終わりがあるのを見たいだけの観光客でしかなく、その恐ろしい黒い壁に楯突く気は毛頭なかった。 「あれが終末か。恐ろしいものだなあ。わくわくする」  毛皮の襟のついた借り着の防寒着を着込む観光船の客に混じって、自前の砂色の装備でやってきた探検家がいた。私はその初老の男と港で意気投合し、世界各地への様々な旅の思い出話を交換したばかりだった。  男は使い古して傷だらけの双眼鏡で、天まで届く遠い壁を見つめ、楽しくてたまらないというように、白い歯を見せて笑っていた。舷側から身を乗り出し、今にも船から氷の張る海に転げ落ちそうだ。 「危ないですよ、博士」  私はさすがに心配になり、そばへ行って忠告した。もうじき終末に呑まれる予定の男とはいえ、その道半ばで氷海に落ちて終わるのでは、無念だろうと思って。  街の宿屋兼、酒場で出会ったその冒険家は、自分のことは博士と呼ぶよう求め、明日、旅立つという冒険の旅に私を誘ってくれた。弟子や取り巻きたちは死を恐れ、誰も付き合ってくれる者がいなかったらしい。  博士は終末の壁に飛び込み、その向こう側がどうなっているのか、本当にそこで何もかもが終わるのかを確かめようと企てている。  それは自殺なのか、それとも冒険なのか。  彼を見捨てた仲間たちは、自殺と受け取っているようだが、私の目にうつる双眼鏡を覗く男は、新しい冒険に胸ときめかせる少年のようだった。 「そろそろ行こう。君はこの受信機《レシーバー》を持っていてくれたまえ。必ず電源はオンにしておいてくれたまえよ? 私の最後の冒険を、君が記録するのだ」  博士は対話機《トランシーバー》の片方を私に押し付けて、観光船にくくりつけて持ってきた、粗末なボートに乗り移った。 「では行ってくる」  晴れやかな笑顔で船出する初老の冒険家を、私は他の観光客たちと、困った顔で見送った。  空も晴れ、凍りつくような寒風の吹く中でも、最後の冒険に出るにふさわしい良い日和だった。 「船速五ノット。快調に航行――」  受信機から聞こえる声だけを残して、初老の冒険家の小舟は古いエンジンの唸りを上げ、真っ黒な洋上の壁にむかってまっしぐらに進んでいった。  対話機は恐れず語り続け、その終末に向かう冒険の様子を淡々と教え続けた。  やがて船は暗黒の壁に至り、それが旅のお終いだった。  それを見守る我々に、対話機が最後の一言を発した。 「これが終末か」  驚いたような軽い声で言ったきり、対話機はただの物のように押し黙り、それきり何も言わなかった。  そうなってもまだ、観光船はしばし呆然と遠い洋上から、もう戻らない冒険家の船を待った。  良い旅でしたか、博士。  私は対話機にではなく、心で通信を試みたが、もう返る声はない。ただただ凍った海が広がるばかりだ。 「港へ戻るぞ」  船頭が帰投を告げる大声で、皆を我に返らせた。  そして観光船は何事もなかったように、いつもの港へと帰っていった。
 
──完──
 


 
2021/03/25 Notionにて掲載
website「TEAR DROP.」で公開した作品の再掲です